民間仏教の広がりと葬儀

〇私度僧、聖

奈良時代、僧侶になり出家することは官度、つまり官の許可が必要でした。許可を得ずに出家することは、私度として禁じられていました。また民間布教は禁じられたり制限されたりしましたが、「私度僧(しどそう)」が多く現れ民間仏教が盛んになると、その指導者は「菩薩」あるいは「聖」と呼ばれ民衆から慕われました。

〇奈良時代、民間仏教の指導者としてその頂点に立ったのが行基(668~749)です。やがて朝廷もこうした民間仏教を評価せざるを得なくなり、行基は東大寺の大仏建立にあたって協賛を要請され、大僧正にまでなりました。

『続日本紀』には行基集団が「死魂を妖祀す」者の弔いに従事していたことがうかがわれます。また、行基の弟子集団である志阿弥(しあみ)が火葬の技術を伝え、諸国の三昧聖となったという伝承もあります。

〇空也とその集団

この行基集団は系譜にあって平安時代に活躍するのが「阿弥陀聖」あるいは「市聖」と呼ばれた空也(903~972)です。

空也は阿弥陀仏の名を唱えると阿弥陀仏の絶大な力を働かせることができるとして、口称の念仏を解きました。これは民間念仏として死者儀式および農耕儀式と結びついて仏教の民衆を推し進めました。念仏も呪力として死者の滅罪に力があると信じられたのでしょう。

この空也も風葬されたと思われる野原の「遺骸」(遺され捨てられた死骸)を集め、火葬して供養したと伝えられます。空也の集団も火葬に従事したと思われます。

こうした民間仏教の拡大は、仏教の民衆化を推し進めると共に、民衆の葬儀の仏教化を進めることになりました。

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