惣村の形成と葬祭仏教化

日本の社会は農業が主体でしたから、農業社会がどうであったかが葬儀においても重要なこととなります。

〇「近世の村」の誕生

鎌倉時代までの農民結合は有力名主層が中心でしたが、南北朝から室町時代になると弱小農民層もその結合の中に組み込んで、「近世の村」と言われる葬村が形成されていきます。

農民による自治組織、共同体として村が作られるようになって地域共同体ができあがっていきます。惣村は、地域の連帯を守るため罰則など検察・裁判機能も有し、領主の年貢の増税に対する闘争組織でもあり、余った生産物を保管する組織でもありました。

〇仏教の民衆化と葬祭

惣村の形成により、自立した農民たちは財政的にも寺院を支えていくことができるようになります。こうして仏教各宗派は地方に進出し、寺や道場が次々に作られて、仏教がより民衆化していきました。

庶民の葬祭を広く推し進めたのは浄土宗でしたが、この他、禅宗(特に曹洞宗)、密教(真言宗)、日蓮宗、天台宗、浄土真宗 (一向宗)などが民衆に入り込む場合も葬祭を中心にすることが多く、葬祭仏教化がいちだんと進むこととなりました。

〇土地の民族と融合した民衆の仏教葬

民衆の葬祭においては、仏教式の葬儀が民衆の中に入るというだけでなく、それぞれの土地の民族と仏教が融合していく形をとりました。これは江戸時代以降も同様でした。現在同じ仏教の葬儀であっても、宗派による違いもありますが、地域による違いが大きいのは、仏教と民族との融合の結果なのです。

〇民衆の葬祭と火葬

室町時代後期以降、貴族や武士の間では火葬が進みました。しかし民衆の葬法は、仏教葬が進展して支配的になっていっても、全体から見れば土葬が多かったと思われます。 ずっと後の明治時代中期での火葬率は全体の3割未満でしたから、民衆のレベルでは仏教と火葬の結びつきはそれほど強くなかったものと思われます。仏教でも浄土真宗系以外においては火葬をそれほど推進していません。また火葬の進展を防げた原因には火葬施設を整えることや燃料の問題もあったと思われます。

〇自然発生した檀家

日本において仏教寺院と民衆の関係は、<檀那寺(旦那寺)-檀家>の関係で結ばれています。元来「檀家」とは古代インド語のダーナパティの音写である「檀越」の略で、寺・僧を供養する施主の意味であるとされます。

中世まで寺院を支えたのは貴族や武士でしたが、室町時代の末期、応仁の乱以降の戦乱の時代を中心に惣村が形成されると、農民も寺院の支え手に加わってきます。 農民は、葬祭、仏事を寺院に委託する代わりに、地方の葬村に進出した寺院の維持費を負担したことにより、自然発生的に檀家関係が誕生していきました。

このような寺院を檀那寺(旦那寺)、また寺院に属してこれを支えた人々を檀家と言い、寺院と檀家の関係が寺檀関係と称します。

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